中心である

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申し上げたいこと

「もうしあげる」を「申しあげる」と書く人が会社にいる。素直に変換したら「申し上げる」になるので、あえて「上げる」をひらがなにしているのだと思うが、どうしてなんだろうか。補助動詞(本来の動詞としての意味を失って使われる動詞)はひらがなにしたほうがいい、という一般的な感覚があるのはわかる。自分もそうしている。でも「申し上げる」の「上げる」は補助動詞ではなく、「申し上げる」で一つの動詞(複合動詞)だと思うのだが(違っているかもしれない)。「申し出る」も「申し込む」も「出る」「込む」をひらがなにするケースはあまり見ない。

 

一応、自分のなかではこのとおり結論が出ているが、「申しあげる」を使うのが社長だからめちゃくちゃ気になってしまう。

定期券区間内

この前、(電車などの)定期券の有効区間内のことを「定期券内」と書いて、いや「定期圏内」と書くべきなんだろうかとちょっと考えた。調べてみたところ、そもそもテイキケンナイという表現自体、ただの俗語で、鉄道会社のホームページだと「定期券区間内」と表記されていることが多いようだ。そう考えると、『「定期券区間内」の略』で「定期券内」がいいような気がしてきた。というか、なんで「圏」を使おうと思ったのか、すでにわからなくなってきた。

自分では表現できないこと

昔、失恋ソングって何のためにあるんだろうと友人が言っていたことがある。たしかに失恋ソングって、落ち込んだ気分を元気にしよう!みたいな曲は少なくて(たぶん)、ただただ悲しい気持ちを歌っているような曲が多い気がする。でも、そういう気持ちに寄り添ってくれる、言語化して表現してくれるっていうだけでも自分はけっこう救われた感じがすると思った。自分でも気づいてなかった気持ちを見つけてもらえたような気がして。

役に立たない

子どもの頃から本を読むのはわりとずっと好きだが、読書するときくらい役に立たないというか、実利のためじゃない行動をしていたくて、自己啓発書とかビジネス書とかを避けてきたように思う。つまり、現実を忘れられるものとして本を読んできたところがある。でも、最近は気が変わって自己啓発書などもふつうに読むようになった。それで分かったことがあって、自己啓発書とかも当然読むだけじゃまったく役に立たないということで、英語勉強法の本を読んでも英語ができるようにはならないし、時短術の本を読んでも仕事は一向に終わらない。結局ずっと役に立たない(というと失礼だけど)ことをしていて、それをぜんぜん悪くなく思っている。

検索怪

Googleフォトの便利な点として、検索機能が有用なところがある。写真に写ってる文字も認識してくれて、手書き文字でも引っかかることが多い。

ただ、一般的な単語、たとえば「寿司」とか「犬」とかは文字列でヒットするものの、友だちのライン画面のスクショを探そうと思ってたとえば「山田」とか「太郎」とかで検索してもヒットしない。これどういう仕組みなんだろ。

傘の居場所

今日はけっこう雨が降っている。普段は小雨なら折りたたみ傘を、大雨ならふつうの傘を使うことが多い。でも今日はこれから映画館に行く。映画館って、ふつうサイズの傘の置き場に困ることないですか。雨は強いけど折りたたみ傘にしようかなあ。

やきいも体験

スーパーではじめて焼き芋を買って食べた。さいきんの焼き芋が美味しいのは知っていたが、聞いていたとおりの美味しさで、これをおやつにすると甘いものを控えられていいかもしれない。炭水化物多いけど、食物繊維も多いし……。

ところで、スーパーで売ってる焼き芋って皮ごと食べていいのだろうか。さすがに洗浄されていると思うが。子どもの頃は、畑で採れたさつまいもを簡単に洗ったあと焼き芋にして皮ごと食べていた。どう考えてもそのときの芋よりスーパーで売ってるやつのほうが衛生的に決まっているのだが、なぜか抵抗がある。洗ってる現場を見ていないから? 自分がわからない。