ひと駅先でもいい(よくない)
「ふだん降りる駅のひと駅前で降りて歩いてみましょう」というようなことがよく推奨されている。身体を動かせるし、毎日同じ帰り道の景色に飽きてきた自分も時々ひと駅前で降りて歩いてみたりするのだが、繰り返しているとその景色にも飽きてくる。ふと「別にひと駅前じゃなくても、ひと駅先でもいいじゃん」と思って、最近はひとつ先の駅で降りて帰宅している。その新鮮なルートに満足していたのだが、ひと駅前だと定期券内だけどひと駅先だと定期券外だから余計にお金がかかってることに気づいた。だから「ひと駅前」だったのか。自分がまぬけすぎて悲しくなった。
夢のショッピングモール
会社の近くはよく店が潰れたりマンションがなくなったりしていて、次はどんな建物が建つんだろうと同僚と話したりする。その同僚はときどき「イオンモールできるといいね」と言うが、絶対できるわけない。土地が狭すぎる。仮につくったとしても、1フロアに1テナントしか入れない。でも、そういうショッピングモールがあっても楽しいかもしれない。50階建てくらいで、1フロアに1店舗ずつ入ってて、エレベーターは1基。楽しくないか。
恐怖と単純
子どものころ、ミステリーものを読んだり見たりするのが好きだったけど、臆病だったので夜が怖かった。家にいても、泥棒が入ってきて偶然出くわした自分が殺されてしまうのではないかとおびえていた。その不安を親に話すと、「泥棒と殺人鬼は別なんだから大丈夫よ。泥棒は物を盗むために入ってくるだけで、人を殺すためにやってくるんじゃないんだから」と言われ、たしかにそうだなと納得してから、恐怖はやわらいだ。でもあらためて考えると、そうとも言い切れない。泥棒に入って住民に見つかってしまったら、自分の犯行を隠したいがために衝動的に人を襲うことだってあるだろう。こんなことあらためて考えなくったってそうなんだけど、子どものときは単純すぎてふつうに納得してしまっていた。そのおかげで穏やかに過ごせたのだから、単純な人間でよかったと思う。